聴風居

40代主婦。夫婦ふたりでひっそり暮らしています。

10年

 

 2011年12月26日に義母が倒れてから、10年が経ちました。

 

 一時は、要介護2だったか、3だったか…忘れちゃいましたが、ホントこの先どうなることか、と思ったけれど、おかげさまで、一応自分のことは自分でできるようになり、義父と一緒に自立した生活を送っています。

 それだけでもすごく有難いことなんだ、と、なにものかに感謝しています。

 

 なまじ近くに住んでいるものだから、倒れた直後から数年間は本当に大変でした。

 入院中、義母は病院にお任せできましたが、義父の日常のサポートもしていましたし。

 肉体以上に精神的にきつくて、義母の退院後約半年経ったとき、疲労とストレスで、全身にアトピー症状がでました。

 直接的に、求められた手助けをするだけでなく、新聞が取り込まれているかどうか、時折様子を見て、取り込まれていなかったら、”倒れているかも!?”と様子を見に行ったり、義父が仕事で不在の時はおかずを作って届けたり…。

 今振り返れば、やりすぎだった、と思えるほど、我ながら、自分なりによくやったと思います。

 夫も、時に私と親との板挟みになりながらも、よくがんばりました。

 

 義理の親の面倒をみることのむなしさを感じたことは多々あります。

 同じ「子」なのに、なぜ、義理の兄夫婦はほとんど何もしないのか。

 「親」のため、と思うと、何もしない兄夫婦に対して腹が立つので、私は、夫のために…夫の負担を減らすために親の面倒をみる、と決めて、付き合ってきました。

 夫が倒れたら、我が家は立ち行かなくなるから。

 我が家が立ち行かなくなっても、誰も助けてくれないから。

 

 そんな不満を抱える日々、平等な関係が成り立たない環境の中で、ギブアンドテイクではない、人が誰かに何かを与えること、贈与について、ずっと考えてきました。

 その答えが、今年、ようやく出たように思っています。

 

 スティーブ・ジョブズスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチに、こんな一節があります。

 

繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳: 日本経済新聞

 

 

 ここ10年の間、これが私の運命なのか、と、自分を取り巻く状況を受け入れられず、心理学やスピリチュアルな世界に足をつっこんだりもしました。

 親の面倒をみること、今の住まいに住み続けること、こどもがいないこと…

 それらがいつか、人生のどこかでつながって実を結ぶ、と信じないと、やってこられなかった日々。

 今、実を結んだ、とまではいかないまでも、ようやく、フラットに我が人生を受け止めることができつつあるように思います。

 

 ここまでがんばって生きてきた自分をねぎらうとともに、支えてくれた夫をはじめ、私を力づけてくれたあらゆるものに、改めて感謝しています。