聴風居

40代主婦。夫婦ふたりでひっそり暮らしています。

”私のお墓を生前契約しました”

 

 先週は、夫の出張とスケジュールをあわせて、京都へ行ってきました。

 京都は、今年のはじめ、「年度末が終わったら行きたいね」と言っていた場所のひとつ。

 夫と一緒にまわったのは半日だけだったけど、夫が学生時代によく通っていたお店でランチを食べたり、神社へ行ったり…。

 私はそのまま一泊し、翌日の夜、新幹線内で合流して、ふたりで帰京。

 旅のメモは、気が向いたら書きます。

 

 

 さて、今日のブログは備忘録です。

 

 先日、西洋占星術研究家・加藤まやさんのブログを印象深く読みました。

 

 

ameblo.jp

 

 

 今回、私が京都へ行った目的のひとつは、京都のとある廟に分骨されている知人のお墓参りでした。

 知人が亡くなった後、一部は京都に分骨され、残りはダイヤモンド化し、お嬢さんのご自宅に安置されています。

 

 遺骨をどうするか。

 

 知人は生前、自分が死んだらお骨はこうしてほしい、という希望を家族に伝えていたようですが、その実現にあたり、親族間でいろいろ揉めた末、今のかたちに落ち着いた、といういきさつがあります。

 生きている間だけでなく、死んでからも、自分の望みどおりのかたちにするのは難しいんだな、と、知人の思いを想うと、ちょっぴりせつなくなります。

 

 私の場合、今のところ、実家の方も、夫の方も、おかげさまで両親とも健在で、近年たまにお墓の話題になることがあります。

 

 実家の方は、実家のある某地方都市にお墓用の土地を買ってはいるものの、娘ふたりで、跡を継ぐ者はいないので、お墓を建てて一時的にお骨を納めても、いつかは墓じまいをすることになるでしょう。

 

 夫の方は、近年お墓を建てました。建てるにあたり、私は全く関与していませんが、子どものいない私たちのことを配慮して、私たちも納められるような大きさにしたとか、しなかったとか…。義両親のお気持ちは有難いけれど、ゆくゆく墓を継ぐであろう兄夫婦、そして、甥はどう思っているんでしょうね(苦笑)

 また、兄一家とは特別仲がいいわけではなく、あの人たちのことだから、実弟である夫はOKでも、私はお断りされたりして…とか、精神衛生上よろしくない妄想がふくらむことも(笑)

 

 いよいよ子どもがいない人生がほぼほぼ確定、となったとき、頭では、自分の死後の世話をしてもらうために子どもを産むわけじゃない、と思っていたけれど、やはり、自分が死んだらどうなるのか、ということが切実な思いと共に頭をよぎりました。

 ・・・というわけで、

 

 誰がお骨を納めるのか

 夫はどうするのか

 

等々の課題はありますが、共同のお墓、という選択肢は、以前から心の中でこっそり持っていました。

 

 そんな中、ブログを通じてのみであれ、存じ上げている方の体験を知ることができ、とても参考になりました。

 

 私にとって、遠いんだか近いんだかわからない未来のお話、ですが、こういった話もこれから意識してアンテナを張っていこうと思います。