聴風居

40代主婦。夫婦ふたりでひっそり暮らしています。

父の入院

 

 先週、地方に住む父が入院しました。

 

 職場にいるときに入った母からのメール。

 

 ”パパが入院しました”

 ”命に関わることではないから安心して”

 ”初めて救急車呼んだわー”

 

 齢80を超えた父の救急搬送と入院。

 ”安心して”って言われたから大丈夫、と思っていても、ちょっと落ち着かない気持ちを抱えたまま仕事をして帰宅し、電話でいきさつを聞いてようやく、一応”安心”できました。

 

 まずは、何より、このご時勢の中、救急車が来て、運んでくれたこと。

 そして、その日の当番病院は別のところだったけれど、かかりつけの病院が受け入れてくれ、入院できたこと。

 

 それだけでも本当にありがたいことでした。

 コロナ対策でお見舞いや付き添いはできないので、お医者さんと看護師さんをはじめとする医療従事者、そして、神様にただただお任せするしかありません。

 さらに、数日後、救急車がきたので心配してくださったご近所の方も、自宅にお見舞いに来てくださって。

 今回、父、そして、母に関わってくださった皆さまに、巡り巡って良きことがありますように。。。と遠くから祈る気持ちです。

 

 

 地方に住む両親がふたりとも後期高齢者になり、時折、介護のこと、どちらかが先に逝ったあとのこと、そして、いつかはやらねばならないであろう実家の後片づけ、お墓のことが頭をよぎります。

 

 そんなとき、生き死にに関わることは、とかく、”家族”が対応しなければならないことが多いなあ、としみじみ思います。

 その”家族”も、様々な事情で、存在する家族の数と、対応する家族の数が、必ずしも一致しなかったり。

 そもそも、いなかったり。

 子どもがいない人生が確定したとき、うちら夫婦が死んだらどうなる、と思うとともに、頭のどこかで、子どもがいたら老後や死後は子どもがなんとかしてくれる、と思っていた自分に愕然としたものでした。…そりゃ、そんな親のところに天から子どもは降りてこないよね。 

 

 実の方も義理の方も、「なるべく迷惑はかけたくない」と口では言っているけれど、行動が伴わない。というか、行動できない。

 それは、しょうがないことなんだろうな、と、最近になってようやく、本当にようやくあきらめる気持ちが芽生えつつあります。

 親に終活を勧めるつもりはありません。終活ができるとも、もう思わない。

 だから、あとは、そのとき、がきたら考える。

 いま、私にできることは、健全な心身を維持すること。

 そして、お金をためておくこと、ただそれだけです(笑)